ヒメアノ~ルを見た感想を熱意だけで書いた

森田剛さん主演の映画「ヒメアノ~ル」を見てきた。ネタバレ凄いありますけど熱量のままに感想書きます。

 

 

 

 

映画館に行く前は、残酷過ぎて試写会で途中退席をする人がいたほどだったとTwitterで見ていたものの、私はⅤ6ファンとして鑑賞することを本当に楽しみにしていた。

だって、森田剛の演技が1000円台で見られるんだもん!!

これまでの森田さんの主なフィールドは舞台だった。正直、舞台のチケ代は学生には辛い。観に行きたくても諦めなきゃいけないことが多かった。だからこそ、安価な映画は嬉しかったし、何回観に行こうかな とさえ思っていた。

 

結論から言おうと思う。私はもうこの映画は観たくない。無理。

 

想像以上に恐怖を感じる映画だった。観終わった後はひたすら気怠く、周りを行く人すべてが恐ろしかった。翌日は、友人たちに「今日疲れてるね。どうしたの?」とか、「具合悪いの?大丈夫?」なんて言われた。

 

スクリーンの中にいる男性は、確かに私が応援しているⅤ6の森田剛さんだった。

少なくとも、最初のカフェのシーンでは私は彼を「剛君」だと認識していた。

でもタイトルが表れ、剛君が岡田を殺すと電話で元同級生に告げた時点で、違和感を覚えた。「あれ?剛君ってこんな顔だっけ?」

 

念のため言っておくが、私が急に記憶喪失になったとかそういう話ではない。ただスクリーンの中の剛君が完全に「森田君」になったのだと思う。

私の知っている「剛君」の目は水分量たっぷりでウルウルしている。黒目が大きくてとてもキュートだ。でもスクリーンの中の「森田君」の目は乾ききっていて、何も見えていないようだった。

それが怖かった。ほかの演者の目には光があった。生気があった。森田君は、目が合っているはずなのに合っている気がしなかった。

 

森田君は嘘をつく。しかもまるで当たり前のように、だ。

カフェには初めて来たと当たり前のように言うし、今の今まで吸っていたたばこを、吸っていないと言い張る。警官には自分の身分を詐称する。

普通の人なら狼狽えて当然、目が泳いで当然な場面なのに、森田君は平然としている。

それが「岡田君」の嘘が下手そうな性格と対比されてますますこの人なんかおかしいかもと思わせるのかもしれない。

 

そして我々観客は、森田君に感情移入することができない。森田君は自分の感情を満たすためだけに人を殺めるからだ。性欲、食欲、承認欲求みたいなものもあるのかもしれない。なぜ森田君は人を殺すのか、今どんな気持ちでいるのか、それがまったくわからない。理解できないし、したいとも思えない。なぜ人を殺した後に、死体の真横で夕飯を食べ続けられるのかわからない。ただ森田君に怯えながら、予測できない彼の行動を見守るしかないのだ。

 

 

ここまで森田君を常人ではないかのように言ってきてなんなのだが私は、我々が彼に恐怖を抱く最大は、彼が「どこにでもいそうな普通の人」、「普段の生活で出会うかもしれない人」だからだと思っている。矛盾していることはわかっている。でも彼は普通の人ではないのに、どこか普通の人なのだ。

 

確かに彼は目に生気がないし、平気で嘘をつく。でも決して腕っぷしが強いわけではない。人を殺すときは全体重をかけるし、ありったけの力を込めていてもすんなりとはいかない。現に、パチンコで儲けたお金をチンピラに持っていかれてしまったような描写があった。そのシーンがあることで、森田君は強者ではないことを明確に表しているのだと思う。

 

それに彼は武器の達人でもない。警官から奪ったピストルを発砲して、その音にびっくりしているシーンなんて、彼もやはり武器とは無縁の生活(私たちが暮らす日常)にいるんだと容易に実感でき、森田君に普通っぽさを感じた。

何より彼は僅かかもしれないが待ちゆく人と同じように自我を持っている。正気ではない人間が、岡田君の実家に嘘の電話をして、現住所を聞き出せるだろうか。後半になって無差別に、無計画に人を殺していて狂ったとしか思えない人が実はまだ思考回路が普通の人並みにしっかりしていたとわかったときの絶望感というか、この人は自我をもっているからどうやったって逃れられないだろうという諦めは凄まじいものだった。

 

 

さて最後のシーンだが、もうご覧になった方はどう思われたのだろうか。

私は救いを感じた。最後の最後に「森田君」の感情に少し触れることができた気がした。

「普通の人ではないのに普通の人」

森田君はあくまで普通のどこにでもいる人だった。「いじめ」にあうまでは。

いじめにあわなければ彼は映画のラストシーンのように岡田君とゲームをして毎日を過ごしていたんだろう。ラストシーンの森田君のセリフはそんな「普通だったころの森田君」を思わせた。声が優しく、また岡田君に会える明日が楽しみで仕方がない、と言うような笑顔、「また遊びに来てよ」というセリフ。

一瞬でも、一時的にでも森田君が絶望を忘れて、希望に溢れていた時代を思い出せたのかなと思うと涙が止まらなかった。

 

この映画は決して「いじめ」を否定するための映画ではないと思う。

人は普通に生きていても、ふとした瞬間に「森田君」のようにも「岡田君」のようにもなり得るし、もしかしたら誰かをそうさせてしまうことだってある。そんな人間の弱さを描いているのかもしれない。

ヒメアノール、そういえば意味は「強者の餌となる弱者」

最初は森田君が強者だと思っていたが、森田君自身がヒメアノールだったのかな。

 

他人に鑑賞を気軽に進めることは決してできないけど、ぜひ多くの人に見てほしい映画だった。こんな良い作品で剛君の魅力が広まるのはファンとしては嬉しい限りだ。